「この世界、魂を震わすモノ」
Ep.1
それは、大学1年のとき、人物を描く課題でのことだった。モデルやアトリエの様子を見渡し、受験時代の習慣からか、光の導線に
無意識に視線が向かう。窓から入る秋の穏やかな太陽の光、それは夏ほどではないものの、心地よく室内を暖め、室内を照らしていた。
再び静かな構想の中で観察を続けていると、太陽光と共に室内を照らす蛍光灯の光、空調や人の動きによりできる空気の流れ、さらには、
聴こえてくる様々な音などもまた、同様のモノであることに次第に気づく。それは、紛れもないエネルギーだった。
この空間は、無数の力に満たされている。人間とは、このエネルギーの集合であり、さらには、自分のいるこの建物、周囲を取り囲む
イーゼルや椅子といった一見すると生命力を持たないとみなされるオブジェクトたちでさえ、突き詰めると目には見えないエネルギー
から成り立っている。
この事実は、量子力学の研究からも明かされていることである。現在の研究では、この世界のあらゆるモノは、突き詰めると17種類の
素粒子により構成されているという。この17種類の素粒子がどう結びつき、離れるか。その無数の関係性からこの世界は成り立つと
されている。
さらに、素粒子を「振動するひも」として解釈する「超ひも理論」においては、17種類あるとされる素粒子を、全て同じ「ひも」であると
定義し、その振動の仕方の違いによって素粒子の種類が表される。そしてこの「ひも」が、切れたり、再び結合すること。また、様々な振動を
するその相互作用からこの世界は出来ているとされている。
当然我々人間も突き詰めれば素粒子の集合体であり、周囲の振動との共鳴により世界は成り立ち、自分もその一部として変化と循環を繰り返し
ていると言えるだろう。それは表と裏が同時に存在する無限の輪であり、輪廻の姿なのかもしれない。
自分は、このインスピレーションから生まれた厚い絵の具と波状筆致の集積を「エネルギーの技法」と名付け、その表現に没頭した。
やがて、この制作を続ける中で、エネルギーという概念は、身体と繋がる思考と融合し、「魂を震わすモノ」となった。
Ep.2
自分はドラゴンボールなどの少年バトルマンガが好きだ。これらのマンガの最大の魅力は、主人公たちの熱く、魂が震えるような激しい
バトルにつきる。主人公たちがぶつかり合い、技を繰り出し合う、その姿に心が昂る。そこに複雑な理屈などは、もはや要らない。むしろ、
如何にロジカルな思考を排除出来るかが、凄まじいエネルギー 値を最大限に受容するための的確な姿勢だと考えている。
「魂が震えるほどの何かに触れること」それは、人間の最大の歓喜ではないだろうか。そしてそれは、この世界を成り立たせる必須要素であり、
人間という存在の核そのものなのだ。
epilogue
この世界も我々人間も、一面からでは決して真理の核にたどり着くことは不可能だ。エネルギーは、まさに表と裏が共存するメビウスの輪の
ように互いを飲み込み、その姿を再生させ続けている。
そして、そんな理屈とはお構い無しに、全てを傍らに置き、空っぽの頭をもって押し寄せるエネルギーの波動の中で、只々魂を震わせたい
自分が今ここにいる。
この瞬間も、絵筆と絵の具の交差の振動は、エネルギーの在処へと自分を導いている。